戦前の女性史には「青踏社」と「新婦人協会」という2つの団体がありますよね。
平塚らいてうが携わった点では共通してますが、具体的には何が違うのでしょうか。

また、平塚らいてうと言えば市川房枝と共に女性の政治的権利獲得に尽力した点で有名です。
この2人って何がどう違うんでしょう?実際の関係はどうだったのでしょうか。

青踏社と新婦人協会、平塚らいてうと市川房枝の違いや関係について見ていきましょう。

青踏社と新婦人協会の違いって何?

まずは「青鞜社」と「新婦人協会」の違いについて見ていきましょう。

1つ目に、青鞜社と新婦人協会は活動期間が違います。青鞜社は1911年(明治44年)から1916年(大正5年)まで、新婦人協会は1919年(大正8年)から1922年(大正11年)まで活動していました。活動期間としては青鞜社の方が少し長いですよね!

2つ目に、設立の中心人物などの違いです。青鞜社は、平塚を中心に女流文芸者などで設立された文学団体ですが、新婦人協会は平塚の他に、「市川房枝」と「奥むめお」が加わった3人を中心に設立されます。しかも新婦人協会は、日本初の女性だけで結成された団体なんですよ!

3つ目に、団体の活動内容や性質も違います!青鞜社は、文学的思想を軸に活動し、雑誌『青鞜』を発行しました。一方で新婦人協会は、女性の社会的・政治的権利の獲得を目指した団体で、機関誌『女性同盟』を発行しています。新婦人協会は、青鞜社に比べて政治的な要素が入っているんです!

ちなみに、青鞜社が解散した背景には、平塚の結婚と出産、そしてその後を引き継いだ伊藤野枝が大杉栄との恋路を優先してしまい、『青鞜』の編集を放棄してしまったから、という理由があるんですよ!

※参照:伊藤野枝と青鞜社の関わりについて。平塚らいてうとの関係は?

平塚らいてうと市川房枝の違いって? 2人の関係も解説

冒頭で、新婦人協会を設立したメンバーとして「市川房枝」という女性が出てきましたよね。
市川房枝は平塚らいてうと共に、20世紀の日本で女性の政治的権利獲得に尽力した人物なのですが、この2人の違いってわかりますか…?まとめると以下のようになります。

○平塚らいてう
・1886年に現在の東京都千代田区で生まれる。
・実家は裕福で、父親は明治政府の高級官僚であった。
・現在の日本女子大学を卒業。他にも二松学舎や津田塾で学んだ事も。
・作家や評論家として、戦後には平和運動として活動した。

○市川房枝
・1893年に現在の愛知県一宮市で生まれる。
・実家は農家で、父親は母親に暴力を振るう事もあった。
・一方で父親は教育熱心であり、房江の妹は渡米してアメリカ人と結婚した。
・婦人参政権を求める運動を展開。戦後は参議院議員を5期務めた。

平塚は裕福な都会育ちの作家・思想家、市川は複雑な家庭環境で育った地方出身の政治家だと言えますね。
ちなみに市川が選挙で立候補したのは東京都で、後に首相となる菅直人氏は市川の選挙を手伝いってた時期がありました。

平塚と市川は一緒に、当時女性の集会などを禁止する「治安警察法」の改正をするよう議員にも働きかけました。
新婦人協会の中心人物であったこの2人ですが、設立当初から意見が合わず、関係は必ずしも良好とは言えませんでした。
結局、新婦人協会設立2年にして平塚、市川はいずれも協会を退いてしまっています。

戦後の1947年、市川は立候補を模索しますが公職追放に遭ってしまいます。この時、多くの人が市川の公職追放の解除に向け奔走しますが、そのうちの1人には平塚の存在がありました。
新婦人協会脱退後は別々の道を歩んだ両者ですが、どこかで互いの存在は認め合っていたのでは?と感じますね。

平塚、市川が去った後の新婦人協会について

さて、平塚と市川が去った後の新婦人協会ですが、奥むめおと坂本真琴という2人の女性を中心に、治安警察法第五条の改正運動を継続します。
「そもそも治安警察法第五条って何?」って思いませんか?

治安警察法五条には、女性が「集会に参加すること」や「集会を主催すること」を禁止すると記載されているんです。今では考えられないですよね・・・。
奥と坂本は、平塚と市川が目指した治安警察法第五条の改正運動を続け、その結果、1922年(大正8年)にようやく治安警察法第五条の一部である、「女性の集会の自由と参加及び主催する自由を禁止」の改正に成功するんです!

改正実現後、協会運営の悪化や会員分裂などの理由から、平塚の希望で新婦人協会は1922年(大正8年)に解散してしまいます。
新婦人協会の活躍は終了しますが、女性が集会に参加できるようになったことは大きな影響を与え、婦人活動はその後も続いていきました。

まとめ

青踏社と新婦人協会の違いや、平塚らいてうと市川房枝の関係についてご紹介しました。
まとめると、以下のようになります。

・青踏社は平塚らいてうを中心に1911年に発足した文芸的思想団体。
・新婦人協会は1919年に平塚や市川房枝が中心となって発足された政治色が強めの婦人団体。
・平塚は1886年東京生まれ。作家・評論家および反戦・平和活動家として活躍した。
・市川は1893年愛知県生まれ。参議院議員を5期、87歳でなくなるまで務めた。
・平塚、市川が去った後の新婦人協会は、治安警察法第五条の一部改正に成功している。

この5つのポイントを掴めば、「青踏社」「新婦人協会」「平塚らいてう」「市川房枝」の基本は抑えられます!
平塚、市川は調べるほど魅力が伝わる人物ですので、興味を持ったらより深堀りしてみてはいかがでしょうか…?