クレオパトラと言えば、「とにかくものすごい美人」というイメージがあると思います。世界三大美女なんていうのにも数えられていますよね。

しかし、彼女はいったいどんな人だったのでしょう?そして本当に美人だったのでしょうか?
そこで今回は彼女の生涯を年表と共に見ていきたいと思います!



クレオパトラってどんな人?

クレオパトラは古代エジプトのプトレマイオス朝で最後のファラオとなった女性です。
父王が亡くなると、クレオパトラは弟プトレマイオス13世と結婚し、クレオパトラ7世として王となりました。
彼女はローマとの同盟がエジプトの生き残る道だと考えていましたが、夫となった弟はそうではありませんでした。そのため彼女は追放されてしまいます。

そこにやって来たのが、政争の相手ポンペイウスを追ってきたローマの将軍カエサルでした。クレオパトラはこっそり絨毯にくるまって彼に面会し、その愛人となります。カエサルの強力なバックアップを得た彼女は実権を取戻し、カエサリオンという子供まで生みました。

ただ、カエサルが暗殺されてしまうと雲行きが変わります。彼女はカエサルの部下だったアントニウスに接近し関係を結びますが、彼はアクティウムの海戦でカエサルの後継者オクタヴィアヌスに敗れ、自殺してしまいます。クレオパトラはもはやこれまでと、コブラに自分の身体を噛ませて最期を遂げました。これで、約280年続いたプトレマイオス朝が終わりを迎えました。

クレオパトラの年表をわかりやすく解説。弟と結婚した理由は?

クレオパトラの生涯を、年表を使って解説してみました。

前69年(0歳)
プトレマイオス12世の次女として誕生

前51年(18歳)
父の死去に伴い、弟プトレマイオス13世と結婚。
クレオパトラ7世として共同統治を開始

前48年(21歳)
弟のクーデターにより追放される

前47年(22歳)
カエサルと出会い、愛人となる
弟プトレマイオス13世がカエサルに敗れ、死亡
カエサルの子カエサリオンを出産

前46年(23歳)
カエサリオンとローマを訪問

前44年(25歳)
カエサルが暗殺され、エジプトに帰国

前41年(28歳)
カエサルの部下アントニウスの愛人になる

前40年(29歳)
アントニウスの子を出産(男子と女子の双子)

前36年(33歳)
アントニウスの子を出産(男子)

前31年(38歳)
アントニウスと連合するも、アクティウムの海戦でオクタヴィアヌスに敗れる

前30年(39歳)
クレオパトラ死去の誤報を聞き、アントニウスが自殺
アントニウスの後を追い自殺する
プトレマイオス朝滅亡、カエサリオンも殺される

年表を見て、「弟と結婚!?」と驚かれた方もいるかもしれません。実は古代エジプト(プトレマイオス朝)では兄弟で結婚することは珍しくなく、ミイラで知られるツタンカーメンも7つ程年上の姉と結婚していた事で知られています。こうした背景には、子供との血縁関係を強めるため、政治上の正当性を確保するといった点が挙げられています。

クレオパトラは本当に美人だったの!?

クレオパトラと言えば、美人と言われることが多いですよね。
1600年前後に活躍したイギリスの劇作家・シェイクスピアが描いた『アントニーとクレオパトラ』には、クレオパトラの美貌に我を忘れるアントニウスが描かれますが、こうした後世の創作が「クレオパトラ=美人」というイメージを作り上げたとする見方もあります。

※参照:シェイクスピアってどんな人?年表や作品の特徴について!

実際、彼女が美人だったのかというと、そうでもないんじゃないかという話がありますよ。
以下はクレオパトラとアントニウスのコインですが、右側の彼女の横顔を見ると、そこまでの美人ではないように見えますね。


※参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Cleopatra

ただ、クレオパトラには知性という武器がありました。7か国語を流暢に話し、その話し方や声は相手を魅了したんだそうです。そんな彼女の声について、カエサルは「まるで楽器のようだ」と例えたと言われています。
おそらく彼女はセルフプロデュースの達人で、自分の魅力とその利用法を熟知していたのだと思います。いわゆる女子力も高かったのではないでしょうか。
それに加えて、エジプトの女王という政治的な利用価値があったことも、カエサルがクレオパトラと関係を持とうと思った理由だったのではないかと思いますね。

※参照:エジプトの歴史を簡単にまとめてみた。

この記事のまとめ

クレオパトラがどんな人だったのかを、年表を交えてご紹介してみました。

・クレオパトラは女王としてエジプトの行く末を考え、カエサルに接近した
・最後はコブラに身を噛ませて自殺した
・美人というよりもセルフプロデュースに長けていた

クレオパトラは、外見だけの美人ではなく中身を磨き上げた美人だったんです。私たちでも真似できるかもしれませんね!

カエサルとの子は殺されてしまいましたが、アントニウスとの間の3人の子はローマに引き取られ、育てられたそうです。