徳川家康の幼名として知られる「竹千代」ですが、どのような意味が込められた名前だったのでしょうか。
家康以外にもこの名前を名乗った人物がいるのかについても気になりますね。

「幼名」の解説も交え、竹千代という名前について見ていきましょう!

「竹千代」にはどんな意味が込められてるの?

徳川家康の幼名として知られる「竹千代」ですが、その名前の由来はなんと和歌にありました。

1543年、現在の愛知県碧南市にある称名寺で連歌会が開催されました。その際、ある人物が「神々の ながきうき世を 守るかな」という上の句を詠み上げます。その返歌として、家康の父であり岡崎城主を務めた松平広忠は「めぐりは広き園の千代竹」と詠みました。この返歌をもとに、称名寺の住職がこの年に産まれた家康の幼名として「竹千代」を勧めたという逸話が残されています。

この称名寺は1339年、時宗の寺院として創建されました。松平(徳川)氏の始祖とされる松平親氏の碑文が存在したり、家康の曽祖父である松平信忠が寺領を寄進するなど、松平一族との関係の深さで知られています。

また、「〜千代」」と付けられた幼名は昔からよく見られます。戦国武将では家康の「竹千代」以外にも、前田利家の「犬千代」、上杉謙信の「虎千代」などが有名ですね。

「千代」には”末永く続くように”という意味があり、産まれてきた赤ちゃんが健康で長生きできますように、という意味が込められていると考えられます。君が代にも「千代に八千代に」というフレーズが出てきますし、大相撲では「千代の富士」「
千代大海」といった力士が存在するなど、今でも使われる機会もありますね。

「竹千代」と名乗った徳川将軍家の人物について

徳川家康の幼名である竹千代は、その後徳川家の繁栄と共に多くの世継ぎ候補の幼名として使用されています。
歴代将軍では3代将軍の家光、4代の家綱、10代の家治、11代の家斉がこの名前を名乗っていますね。

他には、歴代将軍の長男であるものの早世した人物にも「竹千代」の幼名が与えられています。具体的には家康の世継ぎ候補でありながら悲運の生涯と遂げた松平信康をはじめ、10代の家治の長男である徳川家基や、11代将軍家斉、12代将軍家慶の早世した長男が、このケースに当てはまります。

一方、歴代将軍の有名所としては5代将軍の綱吉や8代の吉宗、14代の家茂、15代の慶喜などが挙げられますが、彼らは産まれた当初将軍家の世継ぎ候補ではなかったため、「竹千代」ではなく、それぞれ徳松、源六、七郎麿という幼名を名乗っています。

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2代将軍の秀忠の場合、当初は「長丸」という幼名を名乗っていましたが、その後「竹千代」に改めた事例もあります。この名前は、徳川家の有力な世継ぎ候補として早くから周囲に知らしめる意味が強かったのだと考えられます。

幼名の継承とは? 徳川御三家の幼名も見てみよう

家康に付けられた「竹千代」という幼名は、その後も徳川家の繁栄と共に多くの世継ぎ候補の幼名として使用されています。
このように、歴代の後継者候補に同じ幼名を名付ける慣習、いわゆる「幼名の継承」は、武家ではよく見られました。

前田利家の幼名が「犬千代」であることは先述しましたが、彼が創設した加賀藩では歴代の後継者候補が「犬千代」という幼名を幼い頃に名乗っています。
徳川家関連でいうと、徳川御三家の尾張徳川家は「五郎太」、紀伊徳川家は「長福丸」、水戸徳川家では「鶴千代」という幼名がよく用いられてました。

「竹千代」に関しても、そもそもは家康の祖父である松平清康や曽祖父の信忠、高祖父の長親も名乗った幼名で、家康も受け継いだ形になりますね。

「幼名」って何? 諱や通称とは何が違うの?

そもそも、この「幼名」とは一体何なのか?ですが、成人した元服の際に諱(いみな)が付けられるまで名乗った名前となります。
徳川家康の場合、「家康」が諱(いみな)に当たりますが、諱は「忌み名」と呼ばれており、人前で気軽に呼んでよいものではありませんでした。家康の場合、通称の「次郎三郎」や「蔵人佐」、後年内大臣に就任した際は官職である「内府」と呼ばれる事が多かったと言われています。

整理すると以下のようになるでしょうか。
比較のため、織田信長についてもカッコ内に記載しています。

幼名:竹千代(吉法師)
諱:元信→元康→家康(信長)
通称:次郎三郎(三郎)
官職:三河国、内府など(上総介、右府など)

この4つ以外にも、出家した後に名乗る「法号」や、文化人が本名以外に名乗った風流な名前(ペンネームやハンドルネームのようなもの)である「(雅)号」といった名前が挙げられます。
法号で有名なのは武田晴信の「信玄」や上杉輝虎の「謙信」、号は吉田寅次郎の「松陰」や、西郷隆盛の「南洲」などが有名ですね。
ちなみに吉田寅次郎の諱は「矩方(のりかた)」で、西郷隆盛は通称の「吉之助」でも知られています。一人の人物をどの名前で呼ぶかは、人によって異なるのは興味深いですね。

まとめ

徳川家康の幼名「竹千代」の意味や名乗った人物について、「幼名」とはどのような名前なのかも含めご紹介しました。
まとめると、以下のようになります。

「竹千代」の由来は、家康の父親・松平広忠が呼んだ和歌にちなむ。
歴代の徳川将軍家の世継ぎ候補は「竹千代」と名付けられた。
同じ幼名を後継者候補に名付ける慣習は、武家でよく見られた。
「幼名」とは。成人した元服の際に諱が付けられるまで名乗った名前のこと。

竹千代の「千代」には”長続きする”という意味が込められており、その名の通り徳川家は250年以上天下に君臨し、その末裔は現在魔で続いています。一方で幼くして亡くなった「竹千代」ちゃんを見ると、出生後死亡率が高かった江戸時代を生き抜くのは大変だだなと改めて感じますね。